今回の東京散歩は赤坂駅周辺です。赤坂見附などの似た名前の駅がありますが、赤坂駅は千代田線のみで、赤坂見附への乗り換えはできないので気をつけましょう。
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赤坂
赤坂という土地の高級さは江戸時代に徳川家康が西側の要衝として重視し、紀州徳川家などの身分の高い旗本などを済ませたことに始まります。紀尾井町という町の名前が「紀州徳川家」「尾張徳川家」「彦根藩井伊家」に由来していることなどにも挙げられます。
インドカレー専門店スパイスでランチ
はじめに向かったのは赤坂駅から徒歩5分ほどにあるインドカレー専門店「THE SPICE」さんです。
ランチのセットではナンもご飯もサフランライスもおかわり自由で900円!カレーが一種類とサラダ、ドリンク、スープまでついてきます。赤坂という土地でこの価格は非常に安い!
チーズナンへの変更もプラス150円でできます。
カレーの種類もバターチキンやほうれん草、キーマ、シーフードなどがあり何度来ても間違いありません。
三分坂
この坂は港区でも有数の急坂ですが、江戸時代には坂が急なので、荷車の運賃が銀三分増しになったと言われています。
銀三分は当時でいう百円ちょっとになるので、タクシーの割増料金のようなものでしょうか。
報土寺
三分坂の下にあるのが報土寺です。この寺は1614年に永受法師によって創建されました。創建した永受法師は越前の戦国大名朝倉義景の末裔であったため、朝倉義景ゆかりの品がいくつかあるそうです。
ゆかりの品として有名なものとして、朝倉義景が出陣する時にいつも携えていた阿弥陀如来の銅像が本堂に安置されています。
築地塀
報土寺には築地塀と呼ばれる奇妙な塀があります。築地塀は練塀ともよばれ、瓦を横に重ねて並べて土で突き固めた塀です。
このように坂に沿ってカーブを描く練塀は珍しく、港区の文化財として認定されています。
雷電為衛門の墓
報土寺の名所といえるのが、雷電為衛門の墓です。
通算成績254勝10敗2分で身長197センチメートル、体重169キログラムという巨体の大相撲史上最強と言われる力士の墓があります。
1767年長野の小諸で生まれ、1790年から引退までの22年間250勝もの勝ち星をあげました。
高橋是清記念公園
ここは第20代日本国総理大臣・高橋是清の邸宅跡で、あの2.26事件の起きた場所でもあります。
高橋是清は第20代総理大臣として日本の政治を引率しました。その人生は壮絶で、アメリカに留学した際にはホームステイ先に騙され奴隷として働くことになったり、ペルーでの事業に失敗してホームレスとなったり、その後は日本銀行で働くという高低差ありすぎる生涯でした。
第19代総理大臣原敬が暗殺されると、財政手腕を評価され総理大臣となります。わずか半年で内閣は解散したものの、その後は大蔵大臣として内閣の財政を管理します。
しかし軍事予算の縮小をしようとしたことが軍部の反感を買い、2.26事件によって暗殺されてしまうのでした。
是清は生涯この場所で過ごし、1938年には東京市へ寄与されました。また、彼の邸宅自体は都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」で見ることができます。
とらや赤坂店
次に向かったのはとらや赤坂店。建築家内藤廣によって建てられたモダンな建物は、一際目を引きます。この建築はこれからのお客様にとって居心地の良い店でありたいというとらやの思いから、和菓子屋として最適な低層の建物に改修されたそうです。
中には店舗だけでなく菓寮、ギャラリー、製菓場も備えられています。地下に作られたギャラリーは和菓子に関する展示をしており無料で入ることができますよ!
また、店舗には赤坂店限定の商品も多く用意されており午後には売り切れてしまうこともあるので早めに訪問することがおすすめです。
豊川稲荷
最後に来たのは豊川稲荷東京別院です。愛知県豊川市にある妙厳寺の唯一の直轄別院として大岡越前守忠相より東京に祀られました。かつては大岡邸の敷地の4分の1が借り出され豊川稲荷の江戸参詣所として建立されました。これにより一般信徒も参詣することができるようになり、大岡邸の稲荷は奥の院と呼ばれるようになりました。
その後は私有地での一般参拝が禁止されたり、手狭となったことから一ツ木から現在の元赤坂一丁目へ移転されました。
明治以降の赤坂は料亭や芸者などが集まり、芸事を生業とする人から信仰されるようになりました。
テレビでよく見る人たちの提灯も掛けられています。ジャニーズ事務所やスポーツ関係者などの芸能人から厚く信頼され、2月の節分には各界の芸能人たちが訪れます。
境内には縁切り稲荷や銭洗弁財天、融通稲荷などがあります。融通稲荷は10円の融通金というものを受け取って願いが叶った時に利子をつけて返すというもの。
このお金が何倍にもなる事を願いつつ、旅は、続く。
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